はじめまして
ちゃむせです
これから幸福論という大きなテーマに取り組んでまいります
人は誰しも幸せを追い求めてます
哲学や心理学でこの命題を否定可能かもしれないけど
「全ての人間は幸福になりたがっている」
は前提でいいですか? (´・ω・)
すみません…
「問題は私にある!」
病気や自然災害などからくる苦痛を除き、ほぼ全ての苦しみは人間関係から来ます
人と関わりを持つ限り、苦痛が途切れることはありません
見解・思想・理念の相違から来る衝突は避けえないからです
でもそれらは決して避けるべきものではありません
相違が無ければ何の発展もあり得ないからです
異なるものが融合することで新しいものが生み出されます
融合できないとお互いが破壊されますが、それは融合できないことが問題なのであって
異なることが問題ではありません
衝突からくる苦痛を感じた時、人が反射的に持つものは
「相手が悪い」または「環境が悪い」
という観点です
ただ、この立ち位置からは何の解決策も生み出されません
確かに第三者の公正な目からみて、あなたでなく相手が悪いこともあり得ます
仮に100%そうだとしてもそれが何の解決になるでしょうか?
相手の非を論理的に示したとして、事態が好転する可能性は極めて低いです
およそ相手は非を認めないでしょう。
理屈では認めたとしても、感情的にはどうでしょうか?
少しでもわだかまりがある限り、そこから新しい価値は出てきません
であれば、
「私に問題がある」という立ち位置から解決策を模索していくのが善策です
<相手を変えようとしてはいけない><コントロールできないことに干渉しない>等の観点は
昨今だいぶ広がってきているものの、消極的な意味で捉えている方も多いのではないでしょうか?
しょうがないから自分が妥協する、みたいな…
ではないのです
「私に問題があるということは、私が解決策を持っている!」という大いなる気付きなのです
私が宝を持っているのです!
この宝を放り捨てるのはなんともったいないことでしょう!
問題が起きた → 私こそが解決できる
で、事態を好転させましょう!
これから色々少しずつ発信していきます
よろしくお願いいたします🙇🏻♂️
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