幸福論~正しさ、強さ、そして慈しみ 1

はじめまして

ちゃむせです

これから幸福論という大きなテーマに取り組んでまいります

人は誰しも幸せを追い求めてます

哲学や心理学でこの命題を否定可能かもしれないけど

「全ての人間は幸福になりたがっている」

は前提でいいですか? (´・ω・)

すみません…

「問題は私にある!」

病気や自然災害などからくる苦痛を除き、ほぼ全ての苦しみは人間関係から来ます

人と関わりを持つ限り、苦痛が途切れることはありません

見解・思想・理念の相違から来る衝突は避けえないからです

でもそれらは決して避けるべきものではありません

相違が無ければ何の発展もあり得ないからです

異なるものが融合することで新しいものが生み出されます

融合できないとお互いが破壊されますが、それは融合できないことが問題なのであって

異なることが問題ではありませ

衝突からくる苦痛を感じた時、人が反射的に持つものは

「相手が悪い」または「環境が悪い」

という観点です

ただ、この立ち位置からは何の解決策も生み出されません

確かに第三者の公正な目からみて、あなたでなく相手が悪いこともあり得ます

仮に100%そうだとしてもそれが何の解決になるでしょうか?

相手の非を論理的に示したとして、事態が好転する可能性は極めて低いです

およそ相手は非を認めないでしょう。

理屈では認めたとしても、感情的にはどうでしょうか?

少しでもわだかまりがある限り、そこから新しい価値は出てきません

であれば、

「私に問題がある」という立ち位置から解決策を模索していくのが善策です

<相手を変えようとしてはいけない><コントロールできないことに干渉しない>等の観点は

昨今だいぶ広がってきているものの、消極的な意味で捉えている方も多いのではないでしょうか?

しょうがないから自分が妥協する、みたいな…

ではないのです

「私に問題があるということは、私が解決策を持っている!」という大いなる気付きなのです

私が宝を持っているのです!

この宝を放り捨てるのはなんともったいないことでしょう!

 問題が起きた → 私こそが解決できる

で、事態を好転させましょう!

これから色々少しずつ発信していきます

よろしくお願いいたします🙇🏻‍♂️

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